雨竜川第二弾草稿 アオに乗って
完ちゃんが小学校三年生、私は一年生の、勤労感謝の日のことであった。
父と祖母と久男叔父は朝早くから畑に出ていた。
昼食のとき、母が長兄と姉たちに、
「あんたたちも午後は畑に出て、手伝っておくれ」
と頼んだ。
すると秀一兄さんが、
「わかってますって。うちの勤労感謝の日は休日じゃなくて、勤労できることを感謝しながら仕事する日ですから……」
とおどけて言ったが、完ちゃんとわたししか笑わなかった。
あといくらもしないうちに本格的な冬が来る。
冬が来る前にやっておかなければならないことが古里には山ほどあった。
貧しい開拓農家であったわが家には、冗談を笑えるような余裕はなかったのだ。
完ちゃんと私にしたって、まだ幼かったから農作業はしなくても良かったものの、留守番をしているあいだにするべき用事を山ほど言いつけられていた。
みんながニキロほど離れた畑に行って作業をしているあいだ、私たちは家畜の世話をして、部屋と風呂のそうじをして、さらに洗濯ものを取り込んだ。
でも完ちゃんと私のことだ。お手伝いの合間には追いかけっこをしたり、猫と遊んだりして、いっときもじっとしてはいなかった。
いつの間にか夕方となり、晩秋の日輪が柔らかい光で枯れ葉を照らしていた。
完ちゃんとわたしはすっかりくたびれて、縁側に並んで座り込んだ。
風はゆっくりと渦を巻くように吹きわたって、ときには天高く落ち葉を巻き上げる。
夕方になるともう寒い。日かげには早くも新雪が積もっているのだ。
ふたりは鼻水を垂らしながら、朱塗りのお盆のように大きく赤く輝いて、西の山並みに沈んでいく太陽を眺めた。
すると突然完ちゃんが、
「えみこ、みんなを迎えに行くべ」
と言いだした。私が、
「えっ、だけど畑は遠いよ?」
と問い返すと、完ちゃんは、
「アオに乗っていけばいいべさ」
と言う。
このまま暗くなるまでじっと家にいてもつまらない。私は、
「うん、それじゃ、行こう行こう」
と大賛成した。
アオはわが家の農耕馬である。年齢は私と同じで当時六歳。力持ちだが、とてもおとなしくて優しい道産子だった。私たちはアオが大好きだった。ましてアオの背中に乗るのは、とびっきり楽しい経験だった。
しかしアオの背中に乗るときは、必ず大人が一緒にいるときだった。うまやの周辺でふざけて乗るのは別にして、完ちゃんとふたりだけで、アオに乗って遠出するのは初めての経験であった。
完ちゃんはくつわをはめて手綱を取り、鞍はつけずにはだか馬のままでアオにまたがろうとしたが、いくら道産子は小柄だと言っても、三年生ではまだ身長が低すぎて、馬の背にも届かない。
完ちゃんはりんごの空き箱を捜してきて踏み台にした。
「えみこが先に乗りな」
そう言って完ちゃんは私を抱きかかえ、尻を押し上げてアオの背に乗せてくれた。
「んっしょ、んっしょ」
私は気合を入れながら、必死になってアオの背によじ登った。
どうにか背中の上にまたがったが、アオの背はとても広くて、わたしは開脚ストレッチをしたような姿勢になった。続いて完ちゃんがアオにまたがった。
「えみこ、俺にしっかりつかまってろ」
そう言って完ちゃんは自分の腰に私の手を巻きつけてくれた。
「はいよーっ!」
完ちゃんのかけ声に応じてアオがゆっくりと歩きはじめた。
わたしは落っこちるのが怖くて、完ちゃんにぎゅっとしがみついた。まぐさの匂いに混じって、完ちゃんの汗の匂いがした。
いつの間にか日は落ちてあたりは暗くなりはじめていた。
畑まではとちゅうで国道を通るところがあるが、ほとんど一本道である。時おり枯れ葉がチラチラ光に反射するだけで、美しい景色というわけではなかった。しかし黒く伸びる道沿いに、ぽっくり、ぽっくりという蹄の音を響かせて、馬の背にゆらゆら揺られて行くのはとても楽しかった。
道のりの半分ほど行ったころ、完ちゃんが、
「もっと急がねば、父さんたちが帰ってきてしまうべ」
と言いだして、
「はいっ!、はいっ!」
とアオをせかした。
わたしは『アオを急がせたら、こっちは落ちてしまう』と思って、太ももを締め、完ちゃんの腰に回した手に力を込めた。
しかしアオは完ちゃんの命令を聞かず、歩調を変えずにゆっくりと歩き続けた。
畑では父さんの、
「そろそろ上がるべ」
という声にうながされて、みんなで農具を片付けはじめたところだった。
「今日は疲れたね」
と話しあっていたとき、小山のような黒影が近づいて来るのに気がついた。
「あれっ、アオじゃねえべか?」
秀一兄さんが声を上げた。夕やみを透かして見ると、アオの背中に小さい人影が二つ並んでいる。
「完二とえみこだべさ」
母があわてて駆け寄ってきた。
「母さんだ」
わたしはうれしくなって、手をふった。
完ちゃんは得意げに背中をそらせた。
そのときである。
「なにやってんだ、完二は!あぶねえじゃねえか」
「えみこが落ちたらどうするの!」
わたしたちには予想外の雷がドカンと落ちた。
たちまちわたしはべそかき声になり、
「かあさぁん」
と抱き寄せてくれた母にしがみついた。
「この、いたずら者!」
母は完ちゃんをにらみつけて叱った。
父がすぐうしろから手綱を取って、
「あぶねえことをするな。国道で車にでも出くわしていたら、アオが驚いて暴走していたかも知れんぞ」
と説教したが、完ちゃんは何も答えずに人差し指で小鼻をキュッキュッとかいただけだった。
「まったく無茶なやつだなあ」
秀一兄さんがあきれて言った。
「無事でよかったよ」
そう言って母はわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
母さんの汗と、何だかやさしい匂いがした。
帰りは叔父がアオにのって先にゆき、わたしたちは家族そろってゆっくり歩いた。きょうだい同士で手をつないで、ふみ子姉さんが先導する「夕焼け小焼け」や「七つの子」に声を合わせて歌いながら帰った。