雨竜川第二弾 仙人と鬼婆

 小学校に入学すると、わたしは友だちといっしょにいる時間が楽しくて仕方なくなった。
 とくに夏休みが終わって二学期になるころには、低学年クラスの一年生から三年生まで、全員がすっかり友だちになっていた。

 その友だちの間で、
「猪背山には仙人がいるんだってさ」
 といううわさが飛びかったことがある。
「仙人って絵本でみた杜子春に出てくるやつかい」
「髪の毛が白くてヒゲが長いんだよ」
「魔法がつかえるんだべな」
「ばか。仙人は仙術っていうんだぞ」
 男の子たちは大いに盛り上がっていた。
「山の奥に住んでいるんだろ。みんなで見に行ってみるべ~」
 完ちゃんに誘われてわたしも行くことにした。女の子たちは怖がって加わらなかったから完ちゃんを頭にメンバーは五人になった。
「猪背山はうちの持ち山のはずでねえか。とうさんからもかあさんからも仙人がいるなんて、聞いたこともねえべ」
 とわたしは言ったが、完ちゃんは、
「仙人はなあ、空から自由におりてきて、好きなところに住むんだぞ。うちの持ち山かどうかなんて関係ないべさ」
 と知ったようなことを言った。
「よし!行こう。自分の目で確かめりゃいいさ」
 そう言ってわたしたちは、下校時にそのまま行ってみることにした。

 山道をてくてく、てくてく、かなりの距離を歩いたが、さっぱり目的地につかない。
 次第にくたびれてきて、みんなの歩みは次第にのろくなった。
 それを幸い、わたしは山の景色を楽しみながら歩くことにした。
 両手の親指と人差し指で四角形を作り、片目をつぶってそこから景色をのぞいてみる。久男叔父がカメラ撮影する前に、フレームを決めるために必ず行うクセを真似たのだ。フイルムが高価だった時代の懐かしい話だが、当時のわたしは久男叔父の行うフレームワークをすごくかっこいいと思っていた。

 色とりどりの紅葉は、指のフレームを動かすとまるで違った景色を映し出す。
 それこそ仙術のようだ。私は感動を覚えながら男の子たちの後ろをついて歩いた。

 やがて山道は消え、村の人がけもの道と呼ぶ、人やけものが踏み固めただけの草の上を歩いた。そしてしばらくすると、けもの道さえ消えてなくなった。あとはただ、背の高い雑草をかき分けかき分け、たぶんあっちだと思う方向に進むしかなかった。
 しかしその日はなんだかみんなが意地になっていて、誰も「もう引き返そう」とは言わなかった。しばらくそうして進んでいると、
「あっ!あった。あれだっ」
 と、誰かが大きな声を出した。
「どこ?どこ?」
 少し先にあばら屋が見えた。あれが仙人の住まいなのか?
 わたしたちは興奮して一斉に走り出した。
 あばら家のそばに来ると、壁に空いている穴という穴から、中をそっとのぞきこんだ。わたしもみんなと一緒に、ヤモリみたいに壁に張り付いた。
「いた!おじいさんだ」
 子供たちの気配を感じたのか、おじいさんがあばら家の外に出てきた。
「なんだ、お前ら。なんか用か」
 わたし達はワーッと叫んで一斉に逃げ出した。
 まるで追いかけられているかのように必死で逃げたが、わたしは一度振り向いたときの、おじいさんのあっけに取られた表情が記憶に残っている。
 完ちゃんが息を切らしながら叫んだ。
「ほんとうに、いたんだ!あれが、仙人なんだっ」
 男の子たちもおおっ!と呼応した。
 でもわたしは、あのおじいさんは髪の毛もそんなに白くなくて、むしろ禿げていたし、ヒゲもなかった、本当に仙人なのかなあと疑問に思った。
 けもの道までもどったところで駆け足はやめて急ぎ足になり、山道に入ったらやっとみんなはいったん立ち止まった。
「このことは俺たちだけの秘密だぞ。親にも先生にも絶対言うなよ!」
 完ちゃんが強い調子で呼びかけたので、みんなでおおっ!と声を合わせて誓いを立てた。
 帰りも同じ道のりを歩いたはずだが、帰り道のことはよく覚えていない。みんなとにかく興奮していて、さっき見た仙人のことについて噂しあった。下り道だったせいもあるかもしれないが、一生懸命に喋っていると、時間は飛ぶように過ぎていくのだということを実感した。
 その日の冒険は大成功だったが、秘密にしようという誓いを守ったのは完ちゃんと私だけだった。翌日の昼休み、教室に教頭先生が来て、
「子供たちだけで山奥に入っちゃいけない」
 と注意されてしまった。特に完ちゃんは叩かれこそしなかったが、一番厳しく怒られた。
 きっと他のみんなが夜のうちに家族に喋ってしまったのだろう。そして、翌日の給食を作りにきたお母さんのうち誰かが、教頭先生に言いつけたのだと思う。
 しかし不思議だったのは、大人たちは本当に山に仙人がいたかどうかなんて、誰も気にしていないということだった。
 我が家でもしじゅう叱られていて、大人から叱られ慣れている完ちゃんは、まったく蛙の面に小便だった。

 

 冬休みの少し前のことだったと思う。もうそこらじゅうに雪が積もってはいたが、歩くのに不自由するところまでではなかった。同級生の忠くんが、
「うちの少し先の誰もいない工場で、ときどき鬼婆が出るんだぞ」
 という。いつ出るかはわからないが、中から灯りが洩れているときに隙間からのぞくと工場の中には鬼婆がいて、ひとりでなにやらゴソゴソやっているのだという。
「ぼっさぼさの白髪頭で、なにか企んでそうな、わるそうな顔をして、ギッシギッシと音をさせてさ……」
 忠くんは鬼婆のかっこうをまねるのだが、私たちを怖がらせるのがなかなかうまかった。
「おう、それじゃあ、帰りに鬼婆を見に行こうか?」
 完ちゃんが性懲りもなくそう言うと、
「うん、行こう!行こう!」
 男の子たちはみんなで賛成した。
 わたしはむかし話の絵本に出てくる山姥、とくに包丁を研いでいて小僧さんを食うというヤツを連想して、ちょっと怖かった。しかし完ちゃんから、
「なあ、えみこも行くべ?」
 と誘われると、好奇心が恐怖に勝って、ついうなずいていた。
 わたしはこの日も仲良しの良子ちゃんたちと別れて、男の子たちの冒険に加わった。
 国道沿いにかなり歩くと、壊れかけているちょっと変わった建物があった。
 ちょうどこの日は中から明かりが洩れていた。
「おっ、こりゃ今日はいるぞ」
 忠くんはそう言って壁のすき間を覗き込んだ。
 私たちもそれにならったが、男の子たちは覗き込みながら、
「あっ、本当にいた、いた!」
「鬼婆だっ、鬼婆だ!」
 と騒ぎ始めた。わたしは中が薄暗かったので、人影が動いていることしかわからなかった。目を見開いて見ているうち、びっくりした。
 ありゃ、うちのばあちゃんだ!
 完ちゃんの手を引くと、完ちゃんも気づいたらしく渋い顔をして黙っていた。
 祖母は男の子たちの騒ぎ声を聞きつけると、
「こらっ!そこにいるのぉ、だぁれだ!」
 と、持っていたひしゃくを振り上げながら工場から出てきた。
「うわー!にげろっ、にげろ!」
 男の子たちは一斉に壁に背を向けて逃げ出した。完ちゃんと私もそのあとを追った。
 みんなが、鬼婆と言っていたのは、わたしの祖母のことだったのだ。
 来た道を一目散に逃げもどったので、校舎が見えてきた。こんどは完ちゃんは、このことを内緒にしようとは言わなかった。みんなは自然に解散したが、わたしは複雑な思いで家に帰ってきた。完ちゃんもいつになくむっつりと黙っていた。
 夕食のときには祖母はまだ帰ってきていなかった。

 わたしは母に、国道の先のほうにある壊れた建物のことを聞いた。
 その夜、わたしと完ちゃんは、それは祖父が経営していたデンプン工場であること。
 祖父が死んで廃業したが、デンプンを作る道具はそのままになっていること。
 そして時折、祖母がひとりで工場に行って、デンプン作りをしていることを知った。

 そういえば祖母はときどきデンプンをこねて作った四角い固まりをお土産に持って帰ってくれていた。わたしはそれをどこから持ってくるのか前から不思議に思ってはいたが、聞いてみたことはなかった。今日はじめてそれがわかったが、家族には祖母がクラスメイトから「鬼婆」と呼ばれていることなど絶対に言えなかったし、学校でも、
「あの鬼婆は、じつはうちのばあちゃんだ」
 とは絶対に言えないと思った。
 完ちゃんも同じ気持ちらしく、その日はずっと不機嫌に黙ったきりだった。
 そしてわたしはその日を境に、祖母が持って帰ってくれたデンプンの固まりがストーブに乗っても、以前ほど素直には喜べなくなったのである。