雨竜川第二弾 朱鞠内でのくらし
わが家が朱鞠内に引っ越すことは、決まった次の日に村じゅうに知れ渡った。
村の入植時は十二軒だった家だが、分家したり、新しく仲間入りする家があったりして最盛期には三十軒を超えたという。しかしわたしたちが去るときには、すでに過疎化が進んでいて、戸数は十軒を割っていた。
これ以上共栄にいては、わが家も生活の見通しが立たないのだ。
別れを惜しむ隣近所が、入れ替わり立ち替わり訪れてきて、中には幼馴染の子どもらもいた。同じ中学に通う子以外とは、もうめったに会えなくなるとなると、泣き虫のわたしは涙が乾くひまがなかった。
まぶたと鼻を赤く腫らしたまま、わたしは大きな風呂敷を背負い、荷物を満載した荷車の後ろを押しながら村を出た。
わたしはすでに朱鞠内の中学校に通っていたので町のこともよく知っていた。役場や郵便局や病院や商店があって共栄とは大違いだ。
中学への通学路には駄菓子屋さんもあって、欲しいものがたくさん並んでいた。
これからわたしは、この町の住人になるのだ。
しかし引っ越してきたときには、まだ実感がわかなかった。
少しずつ気持ちが切り替わってきたのは、トイレに白い陶器製の金かくしが取り付けられているのがわかったときからだ。共栄の家のトイレは板切れを渡したものを足場にして、下に向かって用を足していた。
「おおっ、トイレが学校みたいにきれいだ」
わたしと完ちゃんがきゃあきゃあ騒いでいると、また一つ驚くことが起きた。
もう夜なのに、窓越しに隣近所が立てる物音が聞こえてきたのだ。
隣近所が並んで建っているのだから当たり前のことだが、共栄ではポツンポツンとしか家がなかったので、隣の物音が聞こえてくるなどという経験がなかった。
正直言ってびっくりした。その日は興奮でなかなか寝付けなかった。
朱鞠内での最初の朝は、母がかき回すぬか床の匂いで始まった。
母が実家から持ってきて二十年以上経つぬか床は、共栄から持ってきた大切なものの一つであった。
おふくろの味がする漬物で朝食を済まし、元気いっぱい学校に向かった。
休み時間、図書室で朱鞠内のことをいろいろ調べてみた。
地名の由来は「狐がよくでる沼地なので、狐のいる沢というアイヌ語からきている」ことがわかった。狐のいる沢と聞くと、ああそうですかと思うだけだが、朱鞠内という美しい字をあてることにしたのは誰だろう、とてもロマンチックだと思った。
わが家がここに来た五年前に朱鞠内市街で大火事があったそうだ。
百軒もの家が焼け出されて、それ以後、急激に人が少なくなったという。
それでもわたしが引っ越してきたときには、まだ三百軒ほどの家があった。共栄とは大違いだ。
下校時間になった。学校からわが家までわずか徒歩三分だ。今まで一時間かけて歩いて帰っていたのがウソのようだ。
わたしはあえてちょっと寄り道をしてみた。
新しい家の裏手に小高い丘がある。
昨日からずっと気になっていたので、そこへ行ってみることにした。
その丘の上には何もないらしく、ちゃんとした道はなかった。わずかに人の通ったあとがあったが、そこにも腰の高さの草がポヨポヨと生えていた。しかし田舎育ちのわたしには、それくらいの雑草を踏み分けて進むのには、何の苦労も要らなかった。
これが共栄なら、背丈ほどの雑草がボウボウと生えていて見通しも利かず、
「そんなところに入ってくと危ねえぞ、ヒグマかイノシシのでかいヤツに出くわすべ」
と誰かに叱られてしまうこところだ。絶対に一人では行けない。
この丘に登る道は、朱鞠内での新しい生活を始めたわたしを幸せへみちびいてくれるはずだと、そんな妄想を楽しみながら、わたしはわずかな登り道をゆっくり歩いた。
丘のてっぺんに来て、わたしはそこから見える景色に息をのんだ。
朱鞠内の町が見下ろせる。細長い街だから途中で隠れてしまっているが、家々が並んでいるのがわかった。
夕やけ空はあまりにも美しく周囲をオレンジ色に輝かせていた。きっとわたし自身も夕陽をばっちり反射させて、全身がオレンジ色に輝いているだろう。
わたしはしばらくの間、うっとりとたたずんでいたが、そのうち共栄がある方角に目が向くと、突然生まれ古里を思い出した。
捨ててきた、捨ててきた、わたしは捨ててきてしまったんだ。
後ろめたい気持ちが湧き、共栄が懐かしくてたまらなくなってきた。
わたしは感傷を振り払うように、走って新しい家に戻ったのだった。
すっかりお腹をすかせて帰ると母が、
「今日は、ごちそうだよ」
と言って石油コンロの上を指さした。
サバ味噌の缶詰が一個乗っている。中をのぞくと汁だけが煮えていた。
味噌の表面がポコポコ泡立って、おいしそうな匂いが広がっている。今が食べごろだ。
「中のサバの身はどうした?」
わたしが尋ねると母は、
「とうさんと兄さんたちの弁当に入れた」
という。
「他のおかずは?」
「これしかないよ」
悪びれもせず母は答えた。
「さあ食べよう。白いご飯の上に載せて食べたらおいしいよ」
汁の中にはわずかにサバの欠片が混じっていた。箸でサバの欠片をつまんで白いご飯の上にのせる。欠片をチョンチョンと載せたあと、スプーンで汁もかける。
茶色く色づく白いご飯、ふたりで熱いのをアフアフ言いながら食べた。
サバ味噌の汁と白ごはん、絶妙なハーモニーだ。
もともと貧乏だったわが家が、無理な算段をして家を買った。
これからよほどの節約をしなければ、たちまち借金が返せなくなる。
だから一菜だけで食事はおしまい。一菜というのもお粗末である。
でも大好きな母と二人で食べた、身のないサバ味噌ご飯。
貧しさが工夫させたメニューだが、私はとても幸せだった。心から幸せを感じながら食べたあのご飯の味は、今でも忘れられない。