雨竜川第二弾 初恋同士

 完ちゃんは夏になると家族の中で誰よりも真っ黒に日焼けした。
 ランニングシャツは身につけているはずなのに、シャツの日焼けあとなどほとんどなくて、お風呂に入ったときに白い部分を見ることがなかったら、もともと肌の色が黒いのかと思うほどだった。足は夏草の中を走り回るせいか、膝といい脛といい太股といい、かすり傷だらけだった。近づくと完ちゃんからは草の汁の匂いがした。
 兄ではあるが、なかなか野性味のあるカッコイイ少年だった。

 わたしは完ちゃんとよく行動を共にした。
 完ちゃんが6年生、私が4年生のときの話である。
 完ちゃんは気になる女の子、同級生のもも子ちゃんと夜の校舎で会う約束をしたという。
「えみこ、連れてってやるから、一緒に行くべ」
 と、完ちゃんが誘ってきた。

「なんだ、完ちゃん。怖いのかい」
 とわたしが聞くと、
「馬鹿言うな、怖いもんかい。夜の学校なんて珍しいべ。
せっかく誘ってやったのに……」
 と言う。確かにそれもそうだ。私は行ってみることにして、夕食後、完ちゃんと学校に向かった。

 まだ七時ごろだったと思うが、学校の周辺は真っ暗闇だった。
 校庭にドロノキがあって、屋根に触れるほど枝葉を茂らせていたが、近くに寄るまで全然見えなかった。そして懐中電灯の明かりに浮かび上がったドロノキは、昼間とは全然違って禍々しくざわめいて見えた。

 私たちはビクビクしながらそろそろと進んだ。
 怖くて怖くて帰りたくなったけれど、そんなことは言い出せなかった。
 ようやく待ち合わせ場所の工作室に到着したが、そこも闇に包まれている。
「こんな暗いのに、もも子ちゃん、中にいるんだべか?」
「うーん、いねえようだな。あとから来るんじゃないべか……」
 完ちゃんが答えたとき、突然ロッカーの扉がガチャっと開いた。
「ここに、いましたぁ!」
 飛び出してきたのはもも子ちゃんだ。
「ぎゃあ~!」
 ビックリした私は、腰が抜けて思いっきり尻もちをついた。
 完ちゃんは尻もちこそつかなかったが、へっぴり腰になって声を震わせた。
「あー。たまげたべ~。そんなところに隠れて、ひとりでおっかなくなかったかい?」
 完ちゃんは自分で夜の学校にもも子ちゃんを誘っておきながら、よく言うよと私は思った。しかし、もも子ちゃんは案外平気な顔で、
「な~んもだ。きっと完ちゃんは来てくれると思っていたから大丈夫だったさ」
 と言って笑った。もも子ちゃんがケラケラ笑うので、わたしもなんだかおかしくなって一緒に笑った。さっきまでの恐怖はどこかに飛んでいった。

「もも子ちゃんはひとりで来たんだべ?」
 私が聞くと、もも子ちゃんは当然!というふうにうなずいた。
 もも子ちゃんの家からは、歩いて学校まで三十分以上はかかる。そこへ通じる道路はまあまあ広かったが、街灯などほとんどないので暗い。しかも途中にまっ暗闇のトンネルがある。そのトンネルでは少し前に天井の一部が抜け落ちる事故があったばかりだ。

 完ちゃんは、学校の目と鼻の先にある我が家から、ひとりで来るのがおっかなくてわたしを誘ったのに、もも子ちゃんは、比べものにならないほど危険な道をたったひとりで歩いて来たのだ。
「もも子ちゃんは、勇気があるなぁ」
 とわたしは感心して言った。そして、

「もしかしたら、もも子ちゃんは完ちゃんの事をすごく好きなのかな」

 と密かに思った。

 勝手に学校に入ったのがばれるとまずいので、電気はつけられなかった。だから三人で会っても何かをして遊ぶわけではなく、ちょっとそこらを探検してすぐに帰った。
 夜の学校に忍び込むスリルを、ちょっとだけ味わってみたかったというわけだ。

 夜の学校探検は三人だけの秘密だった。
 そのことがうれしくて、あとあとまでも、もも子ちゃんと目が合うと自然に笑みがこぼれた。もも子ちゃんはわたしと目があっても知らんぷりするのだけれど、あの夜ロッカーから、女優さんのように華やかに登場したもも子ちゃんを知っているので寂しくなかった。

 完ちゃんともも子ちゃんはあの後、とても仲良くなった。
 ふたりがお互いに向ける笑顔は、好きな者同士でなければあんなふうにならないだろうと、みんなが察するようになった。6年生の中には、ふたりの仲をからかったり、囃し立てたりする子もいた。

 ところが秋が深まって雪が降った日のこと。帰宅途中のもも子ちゃんを大事件が襲った。薄暗い宵闇の中から知らない男に声をかけられたもも子ちゃんが、警戒して黙って立ちすくんでいると、いきなり強い力で顔を殴られたのだ。
 そして倒れたところを抱え上げられ、連れ去られそうになった。
 幸い通りかかった大人に見つかって、行く手をふさがれた男は、もも子ちゃんを捨てて逃げ出した。しかしもも子ちゃんが殴られたところには、かなり深い傷が残ったという。

 もも子ちゃんは、しばらく学校を休む事になった。
 完ちゃんは、ショックで口がきけなくなり、食べ物が喉を通らなくなった。
 その落ち込みかたはひどく、はたで見ていても痛々しかった。
 完ちゃんは何度ももも子ちゃんの見舞いに行こうとしたが、先生やとうさん、かあさんにそれは固く禁止された。

 あの夜真っ暗闇の工作室でロッカーに隠れることさえやってのけたもも子ちゃんであったが、事件のあとでは昼間さえも一人で出歩くことができなくなったという。もも子ちゃんは、そんなに怖い思いをしたのかと思うと、わたしは可哀想でならなかった。
 事件からどんどん日にちが経って、
「今日こそは、もしかしたらもも子ちゃんが登校してくるかもしれない」
 と完ちゃんと私は毎朝期待して学校に行ったけれど、もも子ちゃんはずっとその後も姿を見せなかった。

 ひと月以上も経ったある日、田岡先生が、
「もも子さんの家は、引越しすることになりました」
 と皆に告げた。私たちはみんな驚き悲しんだ。
 完ちゃんは、もも子ちゃんに一目会いたくて家まで飛んで行ったけれど、おばさんは決して会わせてくれなかった。
 ふたりの初恋は、悲しい終わりをつげたのだ。

 もも子ちゃんがどこに引っ越したのか、子供たちは誰も知らされなかった。
 わたしにはただ、もも子ちゃんの幸せを祈ることしかできなかった。

 ずっと後年、札幌の同窓会で弟さんに会えたとき、もも子ちゃんが元気でいると聞いて、わたしは心から安心した。