雨竜川第二弾 かつ丼の絵

 明治百年は北海道開拓百年と同義だということで、札幌市に前年できたばかりの北海道立美術館では、道内全域から秀作を集めた大規模な絵画展が開かれることになった。
 昭和四十四年、わたしが中学二年生のときの話である。

 絵が好きな秀一兄が、
「こういう展覧会は滅多にあるもんじゃねえ。えみこ、一緒に見に行かないか」
 と誘ってくれた。
 戦後モダニズムを代表する著名な洋画家の作品も、たくさん展示されているという。

 札幌、美術館、モダニズム、絵画展のどれもが、田舎住まいのわたしにはまったく縁のないものばかりで、十四歳の少女の胸をときめかせるのに十分だった。

 わたしは二つ返事で承諾し、一週間も前から興奮してろくろく眠れなかった。
 当日、わたしはセーラー服姿で兄と二人、いそいそと家を出た。
 共栄から札幌へは、ディーゼルカーで四時間もかかる。車中からの風景もものめずらしかったが、大都会札幌に着いたわたしは何もかもに圧倒されて息苦しいほどだった。

 見たこともない広い道路に、ものすごく沢山の人たち。彼らを何が待っているのか、ほとんどの人が飛ぶような速度で歩いている。車の数もすごい。特に乗用車をこれほどの数見たのは、生まれてはじめてだった。

 美術館には驚くほどの数の絵画や彫刻が展示されていて、勝手のわからないわたしは、最初のほうから展示物に見とれてしまい、兄にちょくちょく背中をつつかれながら先に進んだ。

 夕方近くなってようやくお昼ご飯をたべようということになり、兄がこぎれいな食堂に案内してくれた。注文を取りに来た女給さんに、
「カツ丼ふたつ」
 と言う兄は、普段見ている彼と違ってとても大人にみえた。
 わたしは、カツ丼ってなんだろう?とすごく気になった。
 兄と二人、さきほど見てきた美術館の絵や彫刻の話をしながら、かつ丼というものが来るのが楽しみで仕方がなかった。
 やがてフタ付きの白い丼に入った、湯気が立ち昇る食べ物がわたしの前に運ばれてきた。美味しそうな匂いがプーンと漂ってくる。
 わたしはドキドキしながら、フタをあけた。こんもりと盛られたご飯の上にトンカツが乗っていて、だしと卵がとけあっている。こんな食べ物は初めて見た。思わず身をのりだしてジーと見ていた。

「えみこ、どうしたんだ? あったかいうちに食べな」
 兄のことばに我にかえった。分厚いお肉をとりあげて、口に入れた。
 なに?このお肉、やわらかい~、甘しょっぱい。
 わたしはそれを口にふくんだまま、ニンマリした。
 こんなに美味しい食べものが世の中にあったなんて、まさに驚きである。
 あまりの美味しさに、アッというまに完食した。
 生まれて初めて食べたカツ丼の感想は「びっくらこいた」としか言えなかった。

 札幌を出て旭川まで帰ってきたときには、もうあたりはすっかり暗くなっていた。
 わたしはまつ子姉の奉公先の寮に、秀一兄は中学時代からの友人のアパートに一晩泊めてもらって、明日の朝、一緒に共栄まで帰るのだ。
 姉はわたしを銭湯に連れて行ってくれた。わたしは銭湯も初体験だった。
 真っ裸になって、大勢の知らない人と同じ風呂に入るのは少しばかり恥ずかしかった。服をぬいで浴室に入っておどろいた。あちこちでシャーシャーと音がしている。
 これはシャワーっていうんだよと、まつ子姉が教えてくれた。
 それまでわたしは、洗顔はぬれたタオルで顔をふくだけ。髪の毛は洗面器にためたお湯で洗い流すだけ。こんなに大量に飛びちる水を見たのは初めてだった。
 わたしはシャワーから出てくる水の動きが怖かった。
 それで、いくら姉にすすめられても最後までシャワーを使う気にはなれなかった。
 寮にもどると姉の寝床の隣に布団をしいて、さっそく寝る準備をした。
 姉から、美術館でどんな絵をみてきたのさ?と聞かれたが、何もかも初めて見たわたしには、何一つうまく説明できなかった。
「絵や彫刻を言葉で説明しろっていったって、難しいべさ」
 わたしは苦し紛れにそう言ったが、まつ子姉は、
「そんならここに紙と鉛筆があるから、書いて説明してよ」
 としつこく食い下がってきた。わたしは仕方なく、
「昼ご飯にはかつ丼をご馳走になりました。かつ丼はこんな形をしていました」
 と、かつ丼の絵を描いて姉にみせたのであった。