雨竜川第二弾 親切で死にたい

 もも子ちゃん家がどこかに引っ越してしまった年の暮れのことだった。
 古里は夕刻になると、もう寒さが身にしみるようになっていた。
 日陰に雪が積もっていて空気を冷やすのも原因だったが、小雪混じりの風が強く吹きつけて、肌を刺すのもまた辛かった。

 わが家では早々に玄関を閉めて雨戸をおろし、家の中では薪ストーブをあかあかと焚いた。

 たぶん午後9時ごろだと思うが、土間にいる家畜のところからではなく、確かに家の外側でガタンガタンと大きな音が聞こえた。音がしたのは、材木を立てかけている豚小屋の方だったと思う。怖がりの私はすぐに、
「かあさん、誰かいるみたいだよ。こわいよ!」
 と母に訴えた。
「どれどれ、見てこようかね」
 母は戸を開けて、あたり辺り一面に拡がっている暗闇に向かい、
「おぅい、誰かいるのかぁ! いたら返事しろぉ」
 と、男のような野太い声を作って叫んだ。
 しかし外は、シーンと静まり返っている。母はしばらく闇を透かして方々を見回していたが、やがて、
「誰もいないよ。大丈夫だ」
 と言いながら、中に入って戸をぴしゃりと閉めた。

 そのまま夜がふけたので、わたしは、
「さっきの音は聞き間違いだったのだ」
 と思って布団に入った。すぐにウトウトしてしまったが、そのうち玄関先で
母と誰かの大きな話し声が聞こえた。わたしはじっと耳をすませて聞いていると、
「いやあ、黙ってもぐり込んで悪いと思ったんだけんど、どうもこうも、あそこでは寒くて寝てられませんでした。こんな夜更けに起こしてすみません」

 と知らない男の人の声がする。どうやらその人が、ひと晩泊めて欲しいと家に入ってきたみたいだ。
「あそこは、外と同じようなもんだから、そりゃ寒かったでしょ」
 母の声がした。
 その言葉で、私がさっき聞いたのは、彼が立てかけてある材木の隙間に入り込んだ時に立てた音だと分かった。

 でもかあさんは、誰だか見ず知らずの人を本当に泊めてあげるのかな?
 そんなことをして大丈夫かな?
 わたしは心配になって布団の中でいっそう聞き耳を立てた。
 しかし今度は二人とも、ヒソヒソと小さな話し声になって、何を話しているかわからない。
 イヤだな、と私は思ったが、ほかの家族はみんなグーグーいびきをかいて眠っている。起きているのは母と私だけのようだ。
 私は布団を頭からかぶって、不安で胸がドキドキ高鳴るのを我慢していた。

 この男の人はもしかしたら、もも子ちゃんに酷いことをした犯人かもしれない。
 いや、実はもっと悪いヤツで、どこかで人を殺して逃げているのかもしれない。
 もしもみんなが寝静まったあとで、悪党が本性を現して殺されてしまったらどうしよう。

 いや、母は困っている人を助けているのだ。正しいことをしているのだ。
 でも、もしも明日、母が殺されていたらどうしよう。
 家族がみんな殺されてしまったらどうしよう。
 わたしも死んでしまったらどうしよう。
 布団の中であれこれ考えて、わたしは不安でいっぱいになった。
 こんなんじゃ、今夜は眠れないよう……。
 かと言って起き上がる勇気も出ず、わたしは布団の中で身悶えした。

 しかし、いつも間にか眠ってしまったようだ。目が覚めると明るくなっていた。
 玄関のところから話し声が聞こえる。母と父の声だ。そして昨晩の男の人がお礼をいうのが聞こえた。
「本当にお世話になってすみませんでした。ありがとうございました」
 あっ!おじさんが帰るんだ。母が玄関の戸を閉める音が聞こえるやいなや、わたしは布団をぱっとめくって、がばっと起き上がり、まだ寝ている完ちゃんたちを踏みつけて居間に走り込んだ。
 そしてわたしは玄関から上がってきた母にむしゃぶりついて言った。
「かあさん!生きていて良かったぁ、良かったあ」
 母はあきれた様子でわたしを見て、
「なんだ、突然何を言い出すんだ、この子は」
 と言った。
 私は昨晩起きていて、母がどこかの男の人を迎え入れて泊めてやっているのを聞いていたこと、それが不安でたまらず、寝付けなかったことを一気に話した。
「もしかして、人殺しじゃないかと思ったんだよう」
 母にしがみついている間に涙が込み上げてきた。
 そんなわたしに優しい声で、
「人殺しなんかじゃない。山から下りてくる途中で日が暮れて困っている人だったよ」
 と母は言った。
「だって、だって……」
 泣き虫のわたしの涙は止まらなくなっていた。そばで見ていた父が、
「なんだ、えみこ。甘えてないで早く顔を洗ってこい」
 と促した。
 朝食のあと、母はわたしに、
「えみこ、もしかしてもも子ちゃんのことがあったんで、それを思い出して心配になったんだべ?」
 と聞いてきた。わたしがうなずくと、
「世間には悪いヤツもいるけれども、ほとんどの人はいい人だ。困ったときはお互いさまだ。助けてやるのがあたり前さ」
 と言った。わたしが、
「でも、もし人殺しや強盗だったらどうするのさ」
 というと、母は私の目をじっと見つめて、
「そんときゃ運の尽きだ。殺されるかもしれね。だけど困っている人を見殺しにするより、親切で死にたいもんだぞ、人生は」
 と優しくわたしを諭してくれたのであった。

雨竜川第二弾 初恋同士

 完ちゃんは夏になると家族の中で誰よりも真っ黒に日焼けした。
 ランニングシャツは身につけているはずなのに、シャツの日焼けあとなどほとんどなくて、お風呂に入ったときに白い部分を見ることがなかったら、もともと肌の色が黒いのかと思うほどだった。足は夏草の中を走り回るせいか、膝といい脛といい太股といい、かすり傷だらけだった。近づくと完ちゃんからは草の汁の匂いがした。
 兄ではあるが、なかなか野性味のあるカッコイイ少年だった。

 わたしは完ちゃんとよく行動を共にした。
 完ちゃんが6年生、私が4年生のときの話である。
 完ちゃんは気になる女の子、同級生のもも子ちゃんと夜の校舎で会う約束をしたという。
「えみこ、連れてってやるから、一緒に行くべ」
 と、完ちゃんが誘ってきた。

「なんだ、完ちゃん。怖いのかい」
 とわたしが聞くと、
「馬鹿言うな、怖いもんかい。夜の学校なんて珍しいべ。
せっかく誘ってやったのに……」
 と言う。確かにそれもそうだ。私は行ってみることにして、夕食後、完ちゃんと学校に向かった。

 まだ七時ごろだったと思うが、学校の周辺は真っ暗闇だった。
 校庭にドロノキがあって、屋根に触れるほど枝葉を茂らせていたが、近くに寄るまで全然見えなかった。そして懐中電灯の明かりに浮かび上がったドロノキは、昼間とは全然違って禍々しくざわめいて見えた。

 私たちはビクビクしながらそろそろと進んだ。
 怖くて怖くて帰りたくなったけれど、そんなことは言い出せなかった。
 ようやく待ち合わせ場所の工作室に到着したが、そこも闇に包まれている。
「こんな暗いのに、もも子ちゃん、中にいるんだべか?」
「うーん、いねえようだな。あとから来るんじゃないべか……」
 完ちゃんが答えたとき、突然ロッカーの扉がガチャっと開いた。
「ここに、いましたぁ!」
 飛び出してきたのはもも子ちゃんだ。
「ぎゃあ~!」
 ビックリした私は、腰が抜けて思いっきり尻もちをついた。
 完ちゃんは尻もちこそつかなかったが、へっぴり腰になって声を震わせた。
「あー。たまげたべ~。そんなところに隠れて、ひとりでおっかなくなかったかい?」
 完ちゃんは自分で夜の学校にもも子ちゃんを誘っておきながら、よく言うよと私は思った。しかし、もも子ちゃんは案外平気な顔で、
「な~んもだ。きっと完ちゃんは来てくれると思っていたから大丈夫だったさ」
 と言って笑った。もも子ちゃんがケラケラ笑うので、わたしもなんだかおかしくなって一緒に笑った。さっきまでの恐怖はどこかに飛んでいった。

「もも子ちゃんはひとりで来たんだべ?」
 私が聞くと、もも子ちゃんは当然!というふうにうなずいた。
 もも子ちゃんの家からは、歩いて学校まで三十分以上はかかる。そこへ通じる道路はまあまあ広かったが、街灯などほとんどないので暗い。しかも途中にまっ暗闇のトンネルがある。そのトンネルでは少し前に天井の一部が抜け落ちる事故があったばかりだ。

 完ちゃんは、学校の目と鼻の先にある我が家から、ひとりで来るのがおっかなくてわたしを誘ったのに、もも子ちゃんは、比べものにならないほど危険な道をたったひとりで歩いて来たのだ。
「もも子ちゃんは、勇気があるなぁ」
 とわたしは感心して言った。そして、

「もしかしたら、もも子ちゃんは完ちゃんの事をすごく好きなのかな」

 と密かに思った。

 勝手に学校に入ったのがばれるとまずいので、電気はつけられなかった。だから三人で会っても何かをして遊ぶわけではなく、ちょっとそこらを探検してすぐに帰った。
 夜の学校に忍び込むスリルを、ちょっとだけ味わってみたかったというわけだ。

 夜の学校探検は三人だけの秘密だった。
 そのことがうれしくて、あとあとまでも、もも子ちゃんと目が合うと自然に笑みがこぼれた。もも子ちゃんはわたしと目があっても知らんぷりするのだけれど、あの夜ロッカーから、女優さんのように華やかに登場したもも子ちゃんを知っているので寂しくなかった。

 完ちゃんともも子ちゃんはあの後、とても仲良くなった。
 ふたりがお互いに向ける笑顔は、好きな者同士でなければあんなふうにならないだろうと、みんなが察するようになった。6年生の中には、ふたりの仲をからかったり、囃し立てたりする子もいた。

 ところが秋が深まって雪が降った日のこと。帰宅途中のもも子ちゃんを大事件が襲った。薄暗い宵闇の中から知らない男に声をかけられたもも子ちゃんが、警戒して黙って立ちすくんでいると、いきなり強い力で顔を殴られたのだ。
 そして倒れたところを抱え上げられ、連れ去られそうになった。
 幸い通りかかった大人に見つかって、行く手をふさがれた男は、もも子ちゃんを捨てて逃げ出した。しかしもも子ちゃんが殴られたところには、かなり深い傷が残ったという。

 もも子ちゃんは、しばらく学校を休む事になった。
 完ちゃんは、ショックで口がきけなくなり、食べ物が喉を通らなくなった。
 その落ち込みかたはひどく、はたで見ていても痛々しかった。
 完ちゃんは何度ももも子ちゃんの見舞いに行こうとしたが、先生やとうさん、かあさんにそれは固く禁止された。

 あの夜真っ暗闇の工作室でロッカーに隠れることさえやってのけたもも子ちゃんであったが、事件のあとでは昼間さえも一人で出歩くことができなくなったという。もも子ちゃんは、そんなに怖い思いをしたのかと思うと、わたしは可哀想でならなかった。
 事件からどんどん日にちが経って、
「今日こそは、もしかしたらもも子ちゃんが登校してくるかもしれない」
 と完ちゃんと私は毎朝期待して学校に行ったけれど、もも子ちゃんはずっとその後も姿を見せなかった。

 ひと月以上も経ったある日、田岡先生が、
「もも子さんの家は、引越しすることになりました」
 と皆に告げた。私たちはみんな驚き悲しんだ。
 完ちゃんは、もも子ちゃんに一目会いたくて家まで飛んで行ったけれど、おばさんは決して会わせてくれなかった。
 ふたりの初恋は、悲しい終わりをつげたのだ。

 もも子ちゃんがどこに引っ越したのか、子供たちは誰も知らされなかった。
 わたしにはただ、もも子ちゃんの幸せを祈ることしかできなかった。

 ずっと後年、札幌の同窓会で弟さんに会えたとき、もも子ちゃんが元気でいると聞いて、わたしは心から安心した。

雨竜川第二弾 早すぎたプレゼント

 子どもの日の翌日に雪が降るなんて、東京の人には想像もつかないだろう。

 朝のうちは晴れ渡っていた空が昼頃から急に暗くなって、黒々とした雲が低く垂れ込め、冷たい風が吹き渡る。そしてほんの少し鼻の奥を刺すような氷の匂いがしてくる。
それでわたしは「あっ、雪が降るな」と予感するのだ。

 昼からは体育の予定だったが、突然雪が降ってきたため国語の授業に振り替えられた。

「皆さんは母の日は知っていますね。ではどうして母の日というものができたかを知っていますか?」
 担任の田岡先生が私たちに質問した。
 後ろの席の完ちゃんがふざけて、
「父の日だけじゃ、かあさんたちが可哀そうだから」
と答えたが、私はすかさず
「完ちゃん!」
と鋭い声でたしなめた。
 完ちゃんが皆を笑わせたいのはわかっているが、わたしは田岡先生の授業を妨害するような冗談は許せないのだ。先生はにっこり微笑んで、母の日の由来を説明してくれた。

アメリカ人のアンナという女性が、亡くなったお母さんを思って教会でカーネーションを配ったのがはじまりで、お母さんに感謝を伝える日として世界に広まったんですよ」

 帰り道、私は完ちゃんに提案した。
「わたしたちも母の日に、何かかあさんにプレゼントしようよ」
 完ちゃんは、
「えー、めんどくせえ。俺は小遣いも残ってないぞ」
と言ったが、私は、
「プレゼントは物でなくったっていいのさ。何かかあさんが喜ぶお手伝いをしよう」
と答えた。

 母が喜ぶお手伝い、それはわたしに一つ心当たりがあった。
 もう何週間も前から、母は祖母から、
なお子や、もう土手下の畑に下肥を撒かなきゃならんぞ」
と言われていたのだ。

 土手下の畑というのはうちが所有する、川沿いの細い蕎麦畑のことだ。
 雨竜川の流れが変わるまではそこは結構広い畑だったので、馬を連れて行って耕すことができたが、わたしが生まれる前に流れが変わって、畑が細長く分断されてしまった。いまは大人が一足でまたげるくらいの細い畑が、我が家の上流から下流まで、うねうねと続いているだけの土地だった。
 しかも工事をして堤防を高くしたので、堤からみて川の側にあるうちの畑には、急な石段を上り下りしなければ行けなくなった。

 しかし何もせずに空き地にしておくのは勿体ないので、我が家では、少しばかりの蕎麦を作っているのであった。

 わたしは完ちゃんに提案した。
「土手下の畑に下肥を撒く仕事、私たちでいっしょにやろうよ。ばあちゃんがうるさく催促しているから、かあさんも頭が痛いはずだべ。わたしたちが手伝うと言えば喜んでくれるさ」

 下肥というのは人糞で作る肥料である。土手下の畑には肥桶を担いで往復しなければならない。肥桶は大きくて重かった。しかも汚くて臭い。
 本当はこんな仕事は父とか叔父がやれば良いのに、祖母は、
「ちょっと前までわたしがやってきた仕事だ。男衆には別の仕事が山ほどあるべ」
 と言って、母に押し付けるのだ。
 わたしは心の中で、これは祖母の嫁いびりだと思っていた。

 完ちゃんがしぶしぶ賛成してくれたので、わたしは夕食のときに家族にそう告げた。
 かあさんは喜んでくれたが、
「でも、あんたたちにはまだ無理だ。かあさんがやるよ」
 と言った。わたしはそうはさせまいと、

「肥桶に入れる量を少しずつにして何回も行ったり来たりしたら、わたしと完ちゃんにもできるよ。やらせてよ」
 と言った。それを聞いていた父が、
「やらせてみりゃいい。何事も経験だ」
 と言ったので、それで話のけりがついた。

 次の土曜日、学校が終わる少し前から、わたしは完ちゃんが逃げ出さないようにずっと見張っていた。学校が終わってすぐ、完ちゃんの襟をひきずるようにして家に帰ってくると、すぐにお昼ご飯を食べて二人で下肥を取りに行った。

 わたしは用心のため靴下を履かずに行った。

 肥桶に下肥を移す作業は今まで何度も見たことがあった。草にまみれた人糞を大きな柄杓ですくって、肥桶に移すのだ。先に私がやってみたが、柄杓から桶に移すときに早くもよろけそうになった。

「えみこ、あぶねえ。俺に貸してみろ」
 完ちゃんがすぐに交代してくれたので助かった。
 完ちゃんは器用にざぶざぶと下肥を肥桶に入れた。

 本当は二つの桶に棒を通し、真ん中を担ぎあげてバランスを取りながら歩くのだが、
わたしたちには到底そんな重いものを運ぶ自信がない。

 桶は一つだけ、棒を通して両端を二人で持って運ぶことにした。
「腰を入れて歩け、足を踏みしめろ」
 完ちゃんに声をかけてもらいながら、よろよろと土手下の畑に向かった。

 私は、父か母、あるいは優しい長兄が様子を見に来てくれるのではないかと期待していたが、みんな本当に忙しいらしく、誰も来てくれなかった。

「ぷっはー、もう疲れた」
 ようやく畑に着いて桶を下した途端に、早くも私は弱音を吐いた。
 何とか下肥をこぼさずにここまで運んできたことをかあさんに褒めて貰いたかった。

「だから言わんこっちゃねえ。手伝いなんかやめときゃ良かったんだ」
 完ちゃんはわたしに文句を言ったが、男の子だけにすぐにはへこたれず、柄杓をつかって下肥を撒き始めた。

 私たちは何度も肥壺と畑の間を往復した。少しずつにして撒いているつもりだったが、持ってきた下肥はあっという間に無くなって、また肥壺に取りに行かなければならなかった。
 この仕事をやっているうちに靴とズボンの裾は茶色に染まった。
 きっとずごい匂いがしているだろうが、もう鼻が利かなくなっていて、何も感じなかった。

 日が傾いてきて、ようやくあと半分くらいまでのところまで撒けただろうか。
「ああ、さすがに今日はもう無理だ。これで終わりにするべ」
 と完ちゃんが言った。普段の私ならそんな中途半端は許さない。
 きっと最後までやり通せたと思うが、この初めての経験にはすっかり打ちのめされていて、無言でうなずいてしまった。

 不思議なもので、もう終わり、これから帰るとなると、下肥の匂いも土の匂いも土手の草の匂いもいっせいに立ち上ってきて鼻孔をくすぐった。
 家に帰ると、母が勝手口まで迎えに出てきてくれて、
「おやおや、ご苦労様。どうだい、大変だったろう」
 とねぎらい、汚れた靴とズボンを洗い場に持って行ってくれた。

「それで、全部撒けたのかい、どうだった?」
 と母に聞かれて私は正直にまだ半分残っている、と言おうとしたが、完ちゃんがすかさず、
「もちろんさ、ぜーんぶ撒いた」
 と言い切ってしまった。私にはもうその嘘を否定する元気が出なかった。
 私は家族から、
「大変だったね、偉かったね」
 と言われるたびに罪悪感で泣きそうになった。

 間もなく季節は夏を迎え、母が植えた蕎麦はすくすくと伸びはじめた。
 ところが手前の蕎麦は背が高く、向こう側の蕎麦、つまり私たちが下肥を撒いていないところは背が低いのだ。

 七月の終わり輪越しの祭りが近づくころにはその差ははっきりとしてきた。
 何でもお見通しの母は、わたしと完ちゃんを呼んで言った。
「あんたたち、奥までちゃんと下肥を撒かなかったんだね」
 母はため息をついたが、厳しくは叱らなかった。

 蕎麦の成長の差は、母が追い肥をしてもどうにも縮まなかった。
 私はその夏じゅう、蕎麦が刈り取られてなくなるまで、蕎麦畑の近くを通るたびに胸がチクチクと痛んだ。

 

雨竜川第二弾草稿 アオに乗って

 完ちゃんが小学校三年生、私は一年生の、勤労感謝の日のことであった。

 父と祖母と久男叔父は朝早くから畑に出ていた。
 昼食のとき、母が長兄と姉たちに、
「あんたたちも午後は畑に出て、手伝っておくれ」
 と頼んだ。

 すると秀一兄さんが、
「わかってますって。うちの勤労感謝の日は休日じゃなくて、勤労できることを感謝しながら仕事する日ですから……」
 とおどけて言ったが、完ちゃんとわたししか笑わなかった。

 あといくらもしないうちに本格的な冬が来る。
 冬が来る前にやっておかなければならないことが古里には山ほどあった。
 貧しい開拓農家であったわが家には、冗談を笑えるような余裕はなかったのだ。

 完ちゃんと私にしたって、まだ幼かったから農作業はしなくても良かったものの、留守番をしているあいだにするべき用事を山ほど言いつけられていた。

 みんながニキロほど離れた畑に行って作業をしているあいだ、私たちは家畜の世話をして、部屋と風呂のそうじをして、さらに洗濯ものを取り込んだ。

 でも完ちゃんと私のことだ。お手伝いの合間には追いかけっこをしたり、猫と遊んだりして、いっときもじっとしてはいなかった。
 いつの間にか夕方となり、晩秋の日輪が柔らかい光で枯れ葉を照らしていた。

 完ちゃんとわたしはすっかりくたびれて、縁側に並んで座り込んだ。
 風はゆっくりと渦を巻くように吹きわたって、ときには天高く落ち葉を巻き上げる。
 夕方になるともう寒い。日かげには早くも新雪が積もっているのだ。

 ふたりは鼻水を垂らしながら、朱塗りのお盆のように大きく赤く輝いて、西の山並みに沈んでいく太陽を眺めた。
 すると突然完ちゃんが、
「えみこ、みんなを迎えに行くべ」
 と言いだした。私が、
「えっ、だけど畑は遠いよ?」
 と問い返すと、完ちゃんは、
「アオに乗っていけばいいべさ」
 と言う。
 このまま暗くなるまでじっと家にいてもつまらない。私は、
「うん、それじゃ、行こう行こう」
 と大賛成した。

 アオはわが家の農耕馬である。年齢は私と同じで当時六歳。力持ちだが、とてもおとなしくて優しい道産子だった。私たちはアオが大好きだった。ましてアオの背中に乗るのは、とびっきり楽しい経験だった。
 しかしアオの背中に乗るときは、必ず大人が一緒にいるときだった。うまやの周辺でふざけて乗るのは別にして、完ちゃんとふたりだけで、アオに乗って遠出するのは初めての経験であった。

 完ちゃんはくつわをはめて手綱を取り、鞍はつけずにはだか馬のままでアオにまたがろうとしたが、いくら道産子は小柄だと言っても、三年生ではまだ身長が低すぎて、馬の背にも届かない。

 完ちゃんはりんごの空き箱を捜してきて踏み台にした。
「えみこが先に乗りな」
 そう言って完ちゃんは私を抱きかかえ、尻を押し上げてアオの背に乗せてくれた。
「んっしょ、んっしょ」
 私は気合を入れながら、必死になってアオの背によじ登った。
 どうにか背中の上にまたがったが、アオの背はとても広くて、わたしは開脚ストレッチをしたような姿勢になった。続いて完ちゃんがアオにまたがった。
「えみこ、俺にしっかりつかまってろ」
 そう言って完ちゃんは自分の腰に私の手を巻きつけてくれた。

「はいよーっ!」
 完ちゃんのかけ声に応じてアオがゆっくりと歩きはじめた。
 わたしは落っこちるのが怖くて、完ちゃんにぎゅっとしがみついた。まぐさの匂いに混じって、完ちゃんの汗の匂いがした。

 いつの間にか日は落ちてあたりは暗くなりはじめていた。
 畑まではとちゅうで国道を通るところがあるが、ほとんど一本道である。時おり枯れ葉がチラチラ光に反射するだけで、美しい景色というわけではなかった。しかし黒く伸びる道沿いに、ぽっくり、ぽっくりという蹄の音を響かせて、馬の背にゆらゆら揺られて行くのはとても楽しかった。

 道のりの半分ほど行ったころ、完ちゃんが、
「もっと急がねば、父さんたちが帰ってきてしまうべ」
 と言いだして、
「はいっ!、はいっ!」
 とアオをせかした。
 わたしは『アオを急がせたら、こっちは落ちてしまう』と思って、太ももを締め、完ちゃんの腰に回した手に力を込めた。 
 しかしアオは完ちゃんの命令を聞かず、歩調を変えずにゆっくりと歩き続けた。

 畑では父さんの、
「そろそろ上がるべ」
 という声にうながされて、みんなで農具を片付けはじめたところだった。
「今日は疲れたね」
 と話しあっていたとき、小山のような黒影が近づいて来るのに気がついた。
「あれっ、アオじゃねえべか?」
 秀一兄さんが声を上げた。夕やみを透かして見ると、アオの背中に小さい人影が二つ並んでいる。
「完二とえみこだべさ」
 母があわてて駆け寄ってきた。

「母さんだ」
 わたしはうれしくなって、手をふった。
 完ちゃんは得意げに背中をそらせた。
 そのときである。
「なにやってんだ、完二は!あぶねえじゃねえか」
「えみこが落ちたらどうするの!」
 わたしたちには予想外の雷がドカンと落ちた。

 たちまちわたしはべそかき声になり、
「かあさぁん」
 と抱き寄せてくれた母にしがみついた。
「この、いたずら者!」
 母は完ちゃんをにらみつけて叱った。
 父がすぐうしろから手綱を取って、
「あぶねえことをするな。国道で車にでも出くわしていたら、アオが驚いて暴走していたかも知れんぞ」
 と説教したが、完ちゃんは何も答えずに人差し指で小鼻をキュッキュッとかいただけだった。
「まったく無茶なやつだなあ」
 秀一兄さんがあきれて言った。

「無事でよかったよ」
 そう言って母はわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。

 母さんの汗と、何だかやさしい匂いがした。

 帰りは叔父がアオにのって先にゆき、わたしたちは家族そろってゆっくり歩いた。きょうだい同士で手をつないで、ふみ子姉さんが先導する「夕焼け小焼け」や「七つの子」に声を合わせて歌いながら帰った。

雨竜川第二弾草稿 災難

雨竜川第2弾草稿

ある昼下がり、母が、おわんに
入った白いものを庭のアスパラ
ガスの根元にかけていた。

何だろう?

「健治が、いつまでもオッパイ
欲しがるから、カラシをぬったん
だよ」
と母は言った。

農作業のため子供にオッパイ
をあげる時間がないのだとのこと。

私は、母が自分のオッパイをし
ぼって、おわんに入れる姿をみた。
私が、そのおわんを庭に持ってい
く手つだいもした。

でも、何だかおかしい。母はオッ
パイを吸おうとした健治が、カラシ
をなめてビックリしたと言った。
私も、その顔をみた気がするのだ。

カラシをぬったのは、いつだろう?

私のオッパイ時代は、2歳だとした
ら、健治兄は4歳。そのころ、母の
オッパイは、私のもののはずだった。

じゃあ、カラシをなめたのは私?
このときの記憶が断片的で、
はっきりしていない。

ボウーとしていて気持ちが悪い。
ところが、この前、突然、そのとき
の情景を思いだした。

余りにも唐突に頭の中に浮かん
だので驚いた。

私が、母の右がわのオッパイを
吸っていた。健ちゃんが左がわの
オッパイに口をつけた瞬間、ビック
リして飛び上がった。

目を白黒させていた。私も何事
かと思わず、口を放した。

そうだ、時々、一緒に吸っていた
のだ。お兄ちゃんなんだから、もう
止めなさいと母がカラシをぬったのだ。

そのかいがあって健ちゃんは、吸わ
なくなった。母は、左側のオッパイを
絞りだして庭の肥やしにしていたのだ。

そのうち、私も吸えなくなった。
男の子は、いつまでも甘えんぼう
で困ると母がいっていた。

おぼろげにかすんだことも、記憶の
糸を必死にたぐると、思いだせるも
のだと知った。

 

雨竜川第二弾草稿 お化粧

                      作 黒木恵美子

                      監修 近藤 健


 

 初夏のまばゆい光のなかを母とふたり、まっ黒な影を踏みつつ歩いていると、後ろから呼び声が追いかけてきた。ふり向くと、汗だくで追いかけてきたのは、さっちゃんの母さんだった。
「ねえ、上野さんの奥さん、悪いけど明後日、出かける前に髪の毛を結ってくれないかい?」

 母はうなずいて答えた。
「ああ、良いですよ。じゃあ明後日の午前中、待ってますよ」
「ありがとう」
 さっちゃんの母さんは、喜んで帰って行った。明後日は日曜日で学校は休みじゃないか、とわたしは気がついた。
「わーい!明後日、うれしいな」
「なに言ってるの。やるのは私だよ。変な子だね」
 早く明後日が来ないかな~。わたしはワクワクする心を抑えられずに、その場でスキップした。

 母はとくべつ美容師の修行をしたわけではない。ただ素人のわりには、器用に人の髪が結えるだけだったけれど、村の女性たちは母の施術が気に入っていて、よくわが家にやって来るのであった。

 母は施術中たくさんおしゃべりをする。よく話題が尽きないものだと思ったが、それは母なりに考えがあってのことだった。

「他人に髪の毛を触られていたら、そりゃ気持ちがいいべさ。お客が眠くなってウトウトされちゃ、首がグラグラ動いて、こっちは髪が結いにくくなるんだ」

 この季節、村が目覚めるのは早い。日曜日の朝もそれは変わらなかった。わたしは父や兄姉たちが出かけるのを見送ったあとで、お客を迎えるために玄関先を掃き清めた。

 わが家の玄関先には、亡くなった祖父が、となり町の採石場から買ってきた白っぽい砂利が撒いてあった。それはすでに泥に埋もれているものも多かったが、竹ぼうきで上手にチリや木の枝を取り除いてやると、ちゃんと姿を現して、玄関まえの一角だけがとても立派に見えるのだ。

 わたしは満足して額の汗をぬぐった。

 ふと見ると、道の向かいにシロツメクサが咲いていた。わたしはそばまで行って花を摘み、

「今日は、さっちゃんも来る」

 と言いながら花びらを一つ抜いた。

「来ない、来る、来ない、来る」

 来る、で花びらが全部抜けた。もう一度やったが、結果は同じだった。

 わたしは上機嫌になって家の中にもどった。

 午前十時を回ったころ、こんにちは!と玄関で声がした。
「どうぞ、あがってください」
「おじゃまします」
 と、入って来たおばさんは、さっちゃんの手をひいていた。
 やった!やっぱり、さっちゃんも来た!私は、うれしくてピョンピョンはねた。

 さっちゃんは私の一学年上の友だちだ。小学校ではいつも会っているけれど、家で遊ぶ楽しさはまた別格だった。さっちゃんは、手になにか大事そうに持っている。

「さっちゃん、なに持ってきたの?」
「今日はね、お姉ちゃんの宝箱を持ってきたのさ」
「へぇ~何が入ってるの?」
「お化粧だよ」
「お化粧? なに、それ?」

  さっちゃんは両手で小箱をかかげて見せた。
「お姉ちゃんはね、札幌で働いてるの。いま帰って来てるから借りて来たんだあ」
「へぇ~、すごいね」
 窓際の明るいところでは、母が仕事をはじめていた。
「今日は、どんな風にしたいのさ?」
「この前のスタイルがすごく良かったから、同じようにしてもらえるかい」
「じゃあ、こっち向いて」
 と、母はおばさんの髪の毛をとかし始めた。

 私とさっちゃんは少し離れたところに陣取って、ふたりで向き合った。
「えみちゃんさあ、口紅ぬったことある?」
「ないさあ……こんな道具、初めて見た」
「じゃあ、ぬってあげる」
 さっちゃんが取り出したお姉ちゃんの口紅は、クレヨンのように真っ赤だった。
 これをぬるんだべか? わたしは胸が高鳴った。
「さきに顔を白くするよ」
 と、さっちゃんは、白い粉をわたしのほっぺたにはたきはじめた。
 左のほっぺたには目立つほど大きなアザがある。兄の完ちゃんが「実験だ」といって、自分のほっぺたとわたしのほっぺたをセメダインでくっつけたあとだ。あのときはひどい目にあった。

 さっちゃんは、そのアザを隠すかのように一生懸命はたいてくれた。
 次はいよいよ口紅だ。口紅を持つさっちゃんの手が、緊張でブルブルふるえているのが分かる。少しずつ慎重に、唇のふちにそってぬっているらしい。
「あっ!」
「えっ?」
 わたしはあわてて、お姉ちゃんの手鏡をのぞいた。
 口紅がはみ出している。

 わたしは、おかしさが汲み上げてきて、妖怪のような真っ赤な口を大きく開けてゲラゲラ笑った。さっちゃんもつられて、
「あっはははっ!」
 腹をかかえて笑いころげた。むこうの方からおばさんが、
「ひと様の家でそんな大声だしたらダメだよ~。それに、化粧道具はみっちゃんのなんだから、大事にしなさいよ~」
 と、たしなめる声がした。おばさんはさらに母に、
「うるさくして悪いねえ」
 とわびた。しかし母は返事をしない。

 わたしが母を見やると、口にピン止めを何本もくわえがら、せわしなく手を動かしていた。まったくベテランの美容師さんそっくりだ。
 わたしは宝箱に入っているお姉ちゃんの写真を見つけた。クリーム色のワンピースを着たお姉ちゃんがポーズをとってにこやかに写っていた。都会に行くとやっぱり違うんだな、ステキだなと、私はうっとり見とれていた。札幌がどんな街なのかは知らないけれど、都会へ行けば、こんなにステキになれるんだべかなと思った。

 ほどなくさっちゃんのお姉ちゃんが、わが家の玄関さきまで、直接挨拶に来てくれた。写真よりも実物のほうがもっと美人で上品だった。

「お姉ちゃんは、間違いなく村で一番のべっぴんさんだ」

 わたしは強くあこがれを感じ、いつかはお姉ちゃんのようになりたいと思った。

 ずっと後の話になるが、高校を卒業して札幌で働くことになった私は、自分で縫ったスーツを来て、自分なりにお化粧をした。わが家の玄関さきで十八歳の少女がポーズを決めて写真に写っている。その写真はいまだに大切にしている。

 それは三月のことで、背景は雪でまっ白だ。札幌行きを前にしたわたしの頭の中には、小さいころにあこがれたさっちゃんのお姉ちゃんの姿があった。しかしどうひいき目にみても、さっちゃんのお姉ちゃんの美しさにはかなわなかった。